皆さん、こんにちは! ウサピリカです。
前回ご紹介した浦河の「優駿の門」の続きです。
「優駿の門」の奥には、「浦河町立郷土博物館」と「浦河町馬事資料館」の2つの建物があり、前回の記事では「浦河町立郷土博物館」をご紹介しました。
今回は、もう一つの建物「浦河町馬事資料館」をご紹介いたいと思います。
※記事の途中、馬の心臓と馬の胎児のホルマリン漬けの写真があります。気分が悪くなる心配のある方は、ここで離脱してください。
浦河産の名馬
浦河産の名馬がパネルで紹介されていました。
地元産の競走馬が活躍するのは町民にとって誇らしいことなんだと思います。
ミスターシービー
1983年の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞で優勝し史上3頭目の中央競馬クラシック三冠を達成したミスターシービー。1984年には天皇賞(秋)でも優勝しています。
テイエムオペラオー
テイエムオペラオーは、1999年の皐月賞、2000年の宝塚記念、天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ、有馬記念、2001年の天皇賞(春)で優勝しました。2000年は年間無敗記録を達成。
メジロマックイーン
こちらは、メジロマックイーン。
1990年菊花賞、1991年天皇賞(春・秋)、ジャパンカップ、1992年天皇賞(春)、1993年天皇賞(春)、宝塚記念で優勝しました。
10億円を超える獲得賞金額は当時の世界最高記録でした。また、10億円を超えた最初の馬でもありました。
ミホシンザン
1985年の皐月賞と菊花賞、1986年の天皇賞(春)で優勝しました。
ヒンドスタンの剥製・心臓
資料館に入るといきなり目に入るのが、このヒンドスタンの剥製。
皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞、有馬記念の5冠を達成したシンザンの父です。
イギリスの競走馬時代は8戦2勝。引退後はアイルランドで種牡馬として過ごしていましたがめぼしい産駒(子供)を残していません。1955年に種牡馬として日高軽種馬振興会が輸入しました。
1961~1968年の間にヒンドスタンは7度の日本リーディングサイアーに輝いています。リーディングサイアーとは、種牡馬としての順位で産駒(子供)の獲得賞金額で決まります。優秀な子供を世に送り出した父馬に送られる賞ですね。
産駒の重賞勝利数は113。その代表的な産駒がシンザンでした。
そして上の写真で右側にあるのがヒンドスタンの心臓です。まさか本物を保存しているとは思いませんでした。
左側のものは、残念ながら流産で亡くなった馬の胎児です。よく見ると頭や顔、手足がはっきりと分かり、眠っているかのようです。とても可愛らしい顔でした。
馬の全身骨格
↑左側がドサンコ(北海道和種)の骨格で、右がサラブレッドの骨格です。
サラブレッドの頭までの高さは182cmあり、162cmのドサンコよりやや大きめです。
ダービーネクタイ
日本ダービーの開催を記念して毎年作られるネクタイです。
真ん中あたりの、紺色のネクタイが私の好みのデザインですね。
展示用のガラスケースが曇っているため、ぼやけて写っているのが残念です。
GⅠレースの歴代優勝馬
GⅠレースの歴代の優勝馬の名前が記されています。
かつては浦河産馬の名前が数多く載っていたのですが、ここ10年でめっきり少なくなってしまいました。
安平産馬が増えてきたためです。安平町と言えば社台グループの牧場の存在が大きいですね。エアグルーヴ、ジェンティルドンナ、ディープインパクト、アーモンドアイ、クロノジェネシス、エフフォーリア、ソダシ、ジオグリフ、ドウデュース…挙げればキリがありません。
最近、浦河産で活躍したのは2021年のエリザベス女王杯で優勝したアカイイトくらいでしょうか。その前はというと、2014年皐月賞のイスラボニータ、2013年オークス、秋華賞、エリザベス女王杯のメイショウマンボ、天皇賞のジャスタウェイまで遡らなければいけません。
テイエムオペラオーやメジロマックイーンが活躍していた時代のように、また浦河産馬に活躍してほしいですね。
最後に
今回の「浦河町馬事資料館」は、貴重な資料を展示しているにもかかわらず、昔に展示したままの状態なのか古めかしく見えてしまい、もったいないなと思いました。
見せ方を工夫したらもっと素晴らしくなるのに…。
そんなふうに思いました。
でも、展示品は素晴らしいものなので、馬に興味のある方は見学してみてはいかがでしょうか。
以上、ウサピリカでした。
場所
【浦河町馬事資料館】
休館日:月曜日・祝日・12月30日~翌年1月5日
見学時間:9:00~16:30
入館料:無料