皆さん、こんにちは! ウサピリカです。
数日前まで雨や曇りの日がずーっと続いておりました。昨日はちょっと暑かったですけどね。
昔は北海道に梅雨の季節なんてありませんでしたが、2010年くらいから「蝦夷梅雨」といって梅雨のような気候が毎年やって来ます。ジメジメして嫌ですね。
ドライブしていても雨や曇りじゃ写真もどんよりして冴えません。そのせいか、最近撮った写真もイマイチです。
ということで、今回は昨年9月に撮った写真の中から、積丹の「黄金岬」をご紹介します。
この時は幸い天気にも恵まれ、積丹ブルーといわれる海の色を見ることが出来ました。
黄金岬入口
積丹観光協会で黄金岬の入口がどこにあるのか聞いてやって来ました。地味すぎて自力では、すぐに見つからなかったかもしれません。
よかったです…。
場所はこちら↓↓↓↓↓↓
黄金岬を出発
入口からいきなり上り坂です。
下り坂に見えるけど登り坂です。
海側から登るルートもあるのですが、そちらはもっと急な道だと聞いてこちらの道を選択。
でも、こちらの方が歩く距離が長いそうです。
しばらく歩くと、記念碑のようなものが…。
「松山千春が曾祖父に捧げるロマンの碑」と記されています。
明治の頃、松山千春さんの曾祖父(砂山重太郎)がここ美国町で亡くなっているそうです。剣客であった曾祖父は、抗争の中28歳でこの世を去りました。
碑には、このように書かれていました。
弘前藩士を父として生を得た砂山重太郎は維新による廃藩により幼くして父と共に石狩の浜益に移住した。その後、両親の他界。
幼い一人娘を残した妻の急逝など幾多の紆余曲折を経て、明治二十年代美国町の建網と刺網の争いに助成を怨請され、北辰一刀流の使い手として来町。
抗争の渦中に 二十八才の若き生を没す。
ロマンの碑の近くからの眺め。
曾祖父の砂山重太郎も黄金岬からこの海を眺めたのでしょうか。
そんなことを思いながら登っていました。それにしても坂道がキツイです。
頑張って、さらに先を進みます。
海が見えてきました。
素晴らしい眺めだけど、この時はマスクをしながら登っていたので呼吸が苦しかった。チラ見しながら先を目指して登ります。
展望台に到着
「黄金岬」の終点に、やっと到着です。
目の前に展望台があるので登ってみました。
やぁー、絶景ですなぁ!
積丹ブルーが目に沁みますわ。
「眩しくて目がやられるぜ~」って言いたくなるほど青いです。
↑美国漁港。
明治時代に建網と刺網で争っていたということは、建網漁法の漁師と刺網漁法の漁師が敵対関係だったんでしょうか。
盛り上がった島は、「宝島」。
上から見るとハート形に見えます。展望台から島のほうへ手を合わせて祈ると恋愛成就・良縁に恵まれる開運の島と言われています。
残念ながら、展望台からはハート形を確かめることが出来ませんでした。
みはらし荘でランチ
ランチは、岬から少し離れた海岸沿いにある「みはらし荘」。
目の前に広がる積丹の海を眺めながら食事ができます。「みはらし荘」というだけあって、素晴らしい「みはらし」でした。
この時はウニ漁も終わっていたので普通の海鮮丼。
イクラ好きの息子が注文したのは、二色丼。
甘エビ、イクラ、ホタテ、イカの磯丼は、私と夫が注文しました。
新鮮で美味しかったです。
黄金岬へ続く道路。
海の向こうには先ほど見た宝島と黄金岬が見えます。
ボーっと何も考えないで、ここにずっといたかったです。
以上、ウサピリカでした。
場所はこちら。↓↓↓↓↓↓
【みはらし荘】