皆さん、こんにちは!
ウサピリカです。
東北や北海道には義経・弁慶伝説が数多く残っていますが、北海道寿都町の岬にもそんな伝説が残っております。今回はドライブがてら立ち寄った「弁慶岬」をご紹介します。
弁慶岬の由来
弁慶岬は岩内から島牧に向かう途中の国道229号線沿いにあり、積丹半島に向かって日本海に突き出るような形になっています。国道のすぐそばには広い駐車場があり、入ってくる車を見下ろすような位置に弁慶像が建っています。
弁慶像の裏側
衣川の戦いで敗れた義経は、北海道寿都町でアイヌの人々と生活をし、再挙のための兵を募って蝦夷地にやって来る常陸防海尊を待っていました。
常陸防海尊は、比叡山あるいは園城寺の僧侶で義経の家来になってからは、義経の都落ちにも同行しました。衣川の戦いでは、山寺にお参りしていたため生き延びたと言われています。
弁慶は毎日、岬の北端に立ち常陸防海尊が軍団を引き連れてやって来るのをここで待っていたそうですが、その願いは叶いませんでした。船を待っている弁慶を見ていたアイヌの人たちは、この岬のことをいつしか「弁慶岬」と呼ぶようになったという伝説が残っています。
その後、義経たちは雷電(らいでん)を目指したそうです。雷電とは、寿都町のお隣・岩内町になります。
雷電という地名が変わっているので調べてみました。
義経がアイヌの酋長の娘と別れる際に「来年戻る」といったそうです。その来年が訛って「らいでん」という地名がついたという説があります。岬のある寿都町での話なのか、雷電に到着後の話なのかは不明です。
弁慶岬の様子
弁慶像の後ろから岬を眺める。
岬への道。草がきれいに刈り取られています。
岩場が広がっています。
1890年に初点灯しました。当時は木造だったそうです。
もし弁慶の時代に灯台があったら、夜になっても弁慶が岬に立ってそうです(笑)
灯台の前を通り過ぎて岬の先端にやって来ました。
海の向こうに見えるのは
看板のある場所から灯台を眺める。
写真には写っていませんが、 岩場で釣りをしている人が2人いました。魚が釣れるようです。
こちらは、岬の先端からみた右側の眺め。
伝説が本当だとしたら、弁慶もこんな風景を見たのかもしれません。
弁慶の気持ちを思うと、 ちょっと悲しい気持ちになる弁慶岬ドライブの旅でした。
源義経の黄金伝説こちら↓↓↓↓↓↓↓
場所
以上、ウサピリカでした。