皆さん、こんにちは!
ウサピリカです。
今回は、今年の夏に訪ねた北海道・神威岬をご紹介します。
神威岬は、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属しており、積丹半島から日本海に向って伸びる約770mをいいます。積丹半島の海の青さは「積丹ブルー」といわれ、晴れていれば目の覚めるようなブルーの海を見ることが出来るんです。
今回私が行った時は、曇り空で積丹ブルーの写真は撮ることはできず残念でしたが、ダイナミックな岬の地形は、曇り空でも感動的でした。
駐車場から神威岬入口まで
駐車場の奥に、岬へ向かう道が何通りかあります。
階段を上ってから左の岬へ向かうか、舗装された道を徐々に上りながら進むか…。
今回は、舗装された道の方を進みました。
5分ほど歩くと、休憩エリアが見えてきました。
そして、そのすぐ隣にはかつて女人禁制で女性が入れなかった場所があります。
女人禁制の門
ここから約770m、神威岬の先端まで続く道を「チャレンカの小道」といい、1691年から1855年まで女人禁制となっていました。
なぜ女人禁制なのか、その理由は義経伝説までさかのぼります。
奥州から逃れてきた義経は、日高のアイヌ酋長の娘「チャレンカ」と恋仲になりますが、北へ向かうため彼女を捨てて大陸に渡ってしまいました。岬までやって来たチャレンカは事実を知り、絶望のあまり岬から身投げをして命を絶ちます。
息絶える寸前に「婦女を載せた船がここを過ぐれば覆没せん」と叫んだそうです。
もともと積丹半島沖は、昔から海難事故が多い場所です。和人の女がこの付近に近づけば、チャレンカの怒りで祟られ転覆してしまうということから、松前藩により女人禁制となりました。
でも本当のところは、1691年当時、盛んだったニシン漁に制限をかけるために女人禁制になりました。女性が入ると漁師が岬に定住する可能性があるため、漁が簡単にできるようになってしまいます。女人禁制にすることで、生活面の不便を感じさせて定住できないようにするのが目的です。水産資源を守るため、チャレンカの怨念を松前藩が上手く利用したということです。
いやー、それにしても義経さん、伝説の中ではアイヌの娘にモテモテですね。
アイヌ娘との伝説↓↓↓↓↓↓
女人禁制のことが民謡・江差追分節でも唄われています。↓↓↓↓↓↓
チャレンカの小道
女人禁制の門から尾根伝いに歩道が続いています。人とすれ違うことができるかどうかギリギリの道幅でアップダウンがキツイです。下を見ると吸い込まれるような気分になります。ちょっと怖いですよ! ゆっくり休憩できるスペースもあまりありません💦
歩道を歩いているというより登山をしているような気分になります(笑)
苦しいけど、頑張るしかない!
普段の運動不足を反省した瞬間でしたね💦
道端に咲く花が、良い気分転換になりました!
岬の植物や風景を見ながら、歩くこと約20分。
やっと、先端までやって来ました\(^o^)/やったー!
神威岬の先端
岬の先端は灯台を通り過ぎて、さらにその奥。
やっと到着です😓神威岩が見えますよ。
身投げしたチャレンカが、あの岩になったという伝説があるんです。そういえばアイヌの伝説って、死んで岩になるという話が多いような気がしますね。
船越英一郎さんが、岩場に潜んでいそうな雰囲気の神威岬の先端(笑)
晴れていないのが、ホントに残念です。積丹ブルー見たかったなー。
もし晴れていたらこんな感じです。(お借りした写真です。)
もし、行く予定のある方は運動靴で行かれることをお勧めします。サンダルやパンプスで歩いている女性を何人も見かけましたが、非常に歩きにくそうでしたね。
私は、天気の良い時に、またリベンジしたいと思います。その時まで、バテないように体力づくりに励んでおかなければ…\(^o^)/
以上、ウサピリカでした。